原信夫とシャープス&フラッツ

1951年9月、原信夫は10人編成でシャープス&フラッツをスタートさせた。その後、短期間で現在と同じ、5サックス、4トランペット、4トロンボーン、4リズム(ギター、ピアノ、ベース、ドラムス)という17人編成のビッグ・バンド・スタイルを取り入れ、デューク・エリントン楽団、カウント・ベイシー楽団などの本場のトップ・クラスを射程におさめた音楽活動を繰り広げていく。1958年には初リサイタルを成功させ、NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団との共演など、音楽性の高さは初期から評価された一方、国民的スターであった美空ひばりや江利チエミなどと出逢い、原信夫自身の作曲による美空ひばりの「真赤な太陽」が大ヒットするなど、全国的な規模で幅広いファンを獲得。

多岐にわたる活動の中、1967年には日本人バンドとして初めてシャープス&フラッツは「アメリカ・ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演し成功を収め、その後、アメリカ、ソビエト、ヨーロッパ、アジア各国から招待され世界中で公演を行った。さらにクインシー・ジョーンズ、サミー・デイヴィスJr.、ダイアナ・ロス、イブ・モンタン、パット・ブーン、ペリー・コモをはじめとする国際級の大スターたちとの共演も数多く、日本の音楽界への貢献だけでなく、世界の「シャープス&フラッツ」としてその実力をアピールしてきた。

こうした幅広く精力的な活動によって、南里文雄賞、芸術祭優秀賞、芸術祭賞、日本レコード大賞の功労賞など数々の賞に輝き、リーダーの原信夫は1988年に紫綬褒章を受章、1998年には勲四等旭日小綬賞を叙勲、永年の日本の音楽文化に対する貢献が高く評価されている。

2006年に結成55周年を迎え、2009年には全国ファイナルツアー、そして皇居内にて御前演奏を行なった。これまで世界中、多くのビッグ・バンドが登場してきた中、創設時のバンドリーダーが解散までリーダーを務めている稀有なバンドであるとともに、現在では皇居内で演奏した唯一のジャズバンドである。

またコンサート活動と並行しながら多くの学校公演も実施。当時まだ 学生にジャズなど、という風潮の中で始め、ジャズの芸術性が認められた現在まで多くの学校公演を行い若い世代との交流や吹奏楽部への指導も30年以上続けてきた。

2021年6月21日、リーダーの原信夫が死去。
2023年、ミュージシャンである孫のYUMA HARAが株式会社HARA Music Japanを設立し日本の音楽文化継承のためにも原信夫とシャープス&フラッツ再始動プロジェクトをスタートさせる。翌年1月、未発表録音を含むキングレコードの貴重録音一挙10タイトルがハイレゾ、通常配信でリリース。また10月には幻のモントルーライブ音源『シャープス&フラッツ イン モントルー 1982』が日本コロムビアよりリリース。5月に高槻ジャズストリートへの出演をきっかけに学校公演(芸術鑑賞会)なども再開、11月には主催コンサート『原信夫とシャープス&フラッツ 復活コンサートライヴ2024 Re:BLUE FLAME』 を開催し大成功を収めた。